
アメリカにおけるピアカウンセリングの存在:その起源、制度化、そして社会への浸透
アメリカは、ピアカウンセリングの概念が生まれ、発展し、そして社会システムの中に深く根付いた国として知られています。その存在は、単なる非公式な支援活動に留まらず、精神保健医療や障害者支援の分野において、重要なインフラの一つとして確立されています。
1. ピアカウンセリングの起源と歴史的発展
アメリカにおけるピアカウンセリングのルーツは、20世紀半ばの二つの大きな社会運動に遡ります。
- 精神衛生運動と自助グループの誕生(1930年代〜): ピアカウンセリングの精神的基盤の一つは、精神病院における非人道的な処遇に対する批判から生まれた精神衛生運動にあります。1923年に、精神病院での自身の体験を告発した手記が発表されたことをきっかけに、精神疾患を持つ人々の権利擁護と改善を求める動きが起こりました。 この流れの中で、1935年にはアルコール依存症の自助グループである「アルコホーリクス・アノニマス(AA)」が設立されます。AAは、共通の苦しみを抱える人々が互いの経験を分かち合い、支え合うことで回復を目指すという、ピアカウンセリングの原点ともいえる活動を実践しました。これは、専門家ではない当事者自身が、回復のプロセスにおいてどれほど大きな力を持ち得るかを示した画期的な出来事でした。
- 自立生活運動(Independent Living Movement)とピアカウンセリングの確立(1960年代〜1970年代): もう一つの重要な起源は、1960年代から1970年代にかけてアメリカ・カリフォルニア州バークレーを中心に起こった障害者の「自立生活運動」です。当時、多くの障害者は施設に隔離され、自己決定権が制限されていました。これに対し、エド・ロバーツ氏らに代表される障害者当事者たちは、「自分たちのことは自分たちで決める(Nothing About Us Without Us)」という自己決定の原則を掲げ、地域で自立した生活を送る権利を主張しました。 この運動の中で、同じ障害を持つ者同士が、自身の経験や知識を共有し、生活上の課題解決や心理的サポートを行う「ピアカウンセリング」の概念と手法が確立されました。障害当事者だからこそ理解できる苦悩や知恵を共有することで、互いにエンパワメントし合い、自立を促進する強力な手段として機能しました。この自立生活運動をきっかけに、ピアカウンセリングの輪はアメリカ国内にとどまらず、世界へと広がっていきました。
2. ピアスペシャリスト制度の確立と専門職化
2000年代に入ると、アメリカではピアカウンセリングが単なるボランティア活動の枠を超え、精神保健医療システムの中に制度的に組み込まれていきました。
- 「認定ピアスペシャリスト(Certified Peer Specialist: CPS)」の誕生: 多くの州で、精神疾患からの回復経験を持つ当事者が、専門的なトレーニングを受け、一定の要件を満たすことで取得できる「認定ピアスペシャリスト(CPS)」という資格制度が確立されました。これにより、ピアサポートサービスを提供する当事者が、医療チームの一員として有償で雇用される道が開かれました。
- 雇用促進とエビデンスの蓄積: 連邦政府の支援もあり、ピアスペシャリストの雇用は急速に拡大しました。彼らが提供するピアサポートサービスが、利用者の回復の促進、再入院率の低下、医療費の削減などに効果があるという**エビデンス(科学的根拠)**が多数蓄積されたことで、その有効性と必要性が広く社会に認められるようになりました。ピアスペシャリストは、専門職ではない「当事者性」を強みとしつつも、一定の研修と資格を通じて、サービスの質を担保する試みがなされています。
3. 多様な分野でのピアカウンセリングの広がり
アメリカでは、精神保健福祉や障害者支援の分野がピアカウンセリングの中心ですが、その活動はさらに多様な領域へと広がりを見せています。
- 疾患特異的な支援: がん、HIV/AIDS、糖尿病、慢性疼痛など、特定の疾患を持つ患者やその家族を対象としたピアサポートグループが非常に活発です。病気との向き合い方、治療法の選択、日常生活の工夫など、当事者ならではの視点から支援が行われます。
- 薬物・アルコール依存症回復: AAやNAに代表される12ステッププログラムは、ピアサポートがその活動の中核をなしており、多くの回復者にとって不可欠な存在です。
- トラウマと回復: 性的虐待、家庭内暴力、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などのトラウマを経験した人々に対するピアサポートも盛んです。共通の体験を持つことで、安全な場で感情を解放し、回復への道を模索します。
- 退役軍人支援: 戦場での経験などから心的外傷を負った退役軍人やその家族に対するピアサポートプログラムも充実しています。同じ経験を持つ退役軍人同士が支え合うことで、社会復帰や心のケアを促進します。
- 若者支援: 学校や地域コミュニティにおいて、いじめ、不登校、メンタルヘルス、薬物乱用などの問題に直面する若者同士が支え合う「ピア・メンタリング」や「ピア・サポート」プログラムも導入されています。
- 医療事故当事者への支援: 医療現場で事故に遭遇した医療従事者が「セカンド・ビクティム(第二の犠牲者)」とならないよう、経験を持つ同僚が迅速に心理的支援を行うピアサポートプログラムも、一部の病院で導入されています。
4. アメリカにおけるピアカウンセリングの特長と意義
アメリカにおけるピアカウンセリングの存在を特徴づけるのは、以下の点です。
- 当事者主体の原則の徹底: 支援の提供側も受ける側も当事者であるという「当事者主体」の原則が、支援の根幹にあります。この対等な関係性が、深い共感と信頼を生み出します。
- リカバリー志向: 特に精神保健分野では、「リカバリー(回復)」という概念が非常に重視され、ピアカウンセリングはそのリカバリーを促進するための最も重要な要素の一つとして位置づけられています。
- システムへの統合と専門職化: 非公式な自助活動に留まらず、国の政策や医療システムの中にピアサポートが統合され、認定資格を持つ「ピアスペシャリスト」という専門職としての地位を確立している点が、他の国と比べても際立っています。
- 多様性と包摂: 人種、民族、性的指向、社会経済的背景など、多様なバックグラウンドを持つ人々がピアカウンセリングの恩恵を受けられるよう、様々なコミュニティで展開され、文化的な多様性にも配慮されています。
アメリカにおけるピアカウンセリングは、単なる個別の支援の枠を超え、社会全体の健康と福祉を支える重要なインフラの一部として、その存在感を確立しています。これは、当事者の声と経験が社会変革の原動力となり、より包摂的で、個人がエンパワメントされる社会を築く上で、極めて重要な役割を果たしていることを示しています。