
東日本大震災
もう14年もの歳月が過ぎましたが14年前の3月11日の事は今でも鮮明に覚えています。
当時は実家に住んでいましたが今まで経験したことのない地震が発生しました。もちろん、東北地方のような規模ではなく震度4程度の地震でしたが後にも先にも震度4程度の地震は14年前の3月11日だけです。
地震発生時は自分の部屋でギターのメンテナンスをしていましたが地震が落ち着いたのを見計らって家族のいるリビングに移りました。
リビングでテレビをつけると東北地方の太平洋側で巨大地震が発生した状況とともに津波警報が表示され数分後には漁港のような場所に停車してあった大型トラックが波に飲まれていきました。そのトラックには逃げ遅れた人たちがトラックの荷台に逃げていましたが逃げた人たちもトラックごと津波に飲まれていったのを今でも鮮明に覚えています。
同じ市内でも大半の世帯では自身直後から24時間近く停電になったらしいですが幸いにも実家は停電を免れた事で自身の被害も津波の被害も夜には火災のニュースも知る事ができました。
この津波の映像に関しても衝撃の度合いは凄まじく津波が岸壁で跳ね上がって高くなりそのまま人も物も全てを飲み込んでいったという表現以外に言葉を選ぶ事は出来ません。
もちろん、漁港や海岸線をテレビで見た訳なのでどこまで波が襲ったのかはリアルタイムでは分かりませんでしたがその後のニュースなどで住宅も学校も全てが波に飲み込まれた事も知りました。
また、津波の被害に遭わない地域であっても地震の被害も多くの地域で被害が出た事も事実です。
時々、東日本大震災と聞くと地震が発端となって津波が発生した災害でしたが津波の印象が強過ぎて大地震であった事を忘れてしまいがちになりますが自身の地震の規模というだけでも大地震で建物の倒壊などの地震災害も津波と同じく大きな災害であった事を忘れてはならないと思います。
東北地域から離れた東京でも大きな影響が出て交通網が完全に麻痺してしまい職場から自宅まで歩いて帰る必要があった方も多くいたと思います。私の友人も数時間歩いて帰宅した人もいます。
他にも原発事故というのも忘れてはならない部分として福島県から他の地域に移り住む事を余儀なくされた人たちも多くいますし未だに福島に戻れない人たちもいるのではないでしょうか。
そして、原発の影響で計画停電などもあり私個人としては計画停電が実施されるタイミングでクリニックに診察に行く必要があり診察は無事に終えましたが計画停電の影響で薬の管理が出来ないとの理由で薬が貰えずに計画停電していない地域の調剤薬局まで貰いに行きました。
東日本大震災以降は福島には遊びに行きましたが仙台とかにも遊びに行きたいと思います。
仙台は美味しいものがイッパイあります。