
教育とは何か?
今も昔も教育方針は違う形に変化してきていますが基本的には文部科学省が決めた方針を教育委員会も盛り込まれ各学校の校長の意見が加えられ現場の教師が生徒と接する訳ですが現場の教師が自分の個性や自分の考えなどを教育現場で活かしたくても活かせない正に縦割り社会の象徴なのが学校という教育現場の実態だと考えています。
そして、校長などを務めている管理職には天下り先として学校カウンセラーや公立のフリースクールの指導員や教育委員会に対するアドバイザー係的な組織が設置されていたりする地域もあり本当に学校という子供が学ぶ場であるはずの組織も未だに古き時代の官僚組織と同じです。
子供達の教育という要素を利用した公務員の悪い組織体系が残っていますし天下りという意味で退職後も仕事が用意されていれば変革しようと考えている人だって結局は甘い話に乗るのは仕方ない部分なので変わる事のない要素だと思います。
話を変えますが、学校で子供たちが学べる事は確かに多くあります。友達との交流で生まれる言葉の使い方や相手の気持ちを重んじる心や人間と人間が関わる上での最低限のルールを学ぶには最適な場所だとも思いますが本当に教育現場で学べる事かと問われると違う気もします。
更に言えば、学校のような団体行動を求められる訳ですが団体行動に馴染める子供もいれば団体行動を苦手とする子供もいる訳でこの要素に関して団体行動が苦手な子供に対する教育方法というのは団体行動に馴染める子供とは違う教育があると思いますが個性を認める尊重すると言いながら全く変わっていない要素です。
そして、例えば授業中にスマホなどでゲームをする生徒がいたと家庭した場合、教師は「授業中にゲームをするな!」と怒る教師が多いと思います。もちろん、この対応が間違えているとは言いませんが私なら「授業中にゲームしてどうした?」と聞きます。ゲームはダメというのは簡単ですが何故ゲームをするのか?を確認する事も大切な要素です。このゲームをするという行為の裏にストレスが隠れている場合も多いと思います。
「前の授業で嫌な事があった」「家で嫌な事があった」「登校時に嫌な事があった」色々な可能性があり良い学校生活や良い学習をするために必要な気分転換である場合も考えられます。ストレスを溜めない学校生活という要素で5分とか10分と時間を区切って教室とは違う場で対応するのが一番良い方法ではないかと思います。
私の意見として学校に保健室があるのと同じように気分転換室があっても良い時代になっていると思います。もちろん、使用出来る時間を決める必要があると思いますが教師が認めた場合に15分間は気分転換目的でゲームやテレビを見ても良いですよ!という意味合いで使用する教室があっても良いと思います。
登校拒否の多くは学校という組織に対して大きなストレスがあるから登校拒否になる場合も多いと思います。子供を教育する現場が子供にストレスを与える現場であるというのが現状だと思います。子供にストレスを与える教育現場で本当の学習が出来るのか?疑問にも思います。
学校以外でも人間関係を学べる場は多くあると思いますし最低限のマナーやルールを守る学習を出来る場も学校以外にもあります。
学校に行かないという決断は悪ではなく逆に学校では学べないことを学ぶチャンスもあると捉えて考えると学校生活で学べることよりも多くの経験が出来る可能性を秘めています。
そして、教育の中にストレスを溜めずに生きる方法を教える事も本当は重要な教育的要素だとも思います。