イギリスにおけるピアカウンセリングの現状:精神保健分野での革新と挑戦

イギリスでは、ピアカウンセリング(またはピアサポート)が、精神保健ケアのあり方を根本から変える可能性を秘めた重要な要素として注目されています。アメリカと同様に、当事者主体の支援という理念に基づき発展してきましたが、NHS(国民保健サービス)という独自の医療システムの中で、独自の進化を遂げています。この記事では、イギリスにおけるピアカウンセリングの歴史、現状、そしてその特徴について深掘りしていきます。

1. イギリスにおけるピアカウンセリングのルーツ:当事者運動とリカバリー志向

イギリスにおけるピアカウンセリングの発展は、アメリカと同様に、精神疾患を持つ人々による当事者運動と深く関連しています。

  • 反精神医学運動と患者の権利擁護: 1960年代から70年代にかけて、イギリスでも精神病院における非人道的な治療や患者の権利侵害に対する批判が高まり、反精神医学運動が活発化しました。この動きの中で、当事者自身が治療やケアのあり方を問い直し、自らの経験に基づいた支援の必要性を訴えるようになりました。
  • リカバリー志向の台頭: 1990年代以降、精神保健分野において「リカバリー(Recovery)」という概念が主流になっていきます。リカバリーとは、単に症状がなくなることではなく、疾患と共に自分らしい人生を送ることを目指す、当事者主体のプロセスを指します。このリカバリーの考え方において、同じ経験を持つピアからのサポートが極めて重要であると認識されるようになりました。ピアの経験に基づく共感や希望の共有が、当事者の**エンパワメント(力を引き出すこと)**と自己管理能力の向上に不可欠であるとされたのです。

2. NHS(国民保健サービス)への統合と制度化

イギリスのピアカウンセリングの大きな特徴は、その多くが公的医療機関であるNHSの精神保健サービスの中に統合され、制度化が進められてきた点にあります。

  • 政策による推進: イギリス政府は、精神保健サービスの改革において、ピアサポートの導入を積極的に推進してきました。例えば、2011年に発表された精神保健戦略「No Health Without Mental Health」や、その後のNHSの改革計画の中で、ピアサポートはサービスの質の向上と持続可能性を確保するための重要な要素として位置づけられています。
  • ピアサポートワーカーの雇用: NHSの精神保健信託(Mental Health Trusts)や地域精神保健チーム(Community Mental Health Teams: CMHTs)では、精神疾患の経験を持つ人々を「ピアサポートワーカー」として雇用する動きが活発です。彼らは、専門職チームの一員として、利用者(患者)に対して個別のサポートやグループ活動を提供します。その役割は、自身の経験を共有することで利用者に希望を与え、回復への道のりを共に歩む伴走者となることです。
  • トレーニングと標準化: ピアサポートワーカーが効果的かつ倫理的に活動できるよう、全国各地で様々なトレーニングプログラムが開発・提供されています。これらのトレーニングは、傾聴スキル、共感の仕方、秘密保持、境界線の設定など、ピアサポートに必要な知識と技術を習得することを目的としています。一部の地域では、全国的なピアサポートの質の標準化を目指す動きも見られます。

3. イギリスにおけるピアカウンセリングの活動形態

イギリスでは、ピアカウンセリングは様々な形態で提供されています。

  • NHS内での提供: 上述の通り、NHSの精神保健サービスにおいて、ピアサポートワーカーが専門職チームと連携してサービスを提供しています。これは、従来の医療モデルに当事者主体の視点を取り入れる画期的な試みです。
  • ボランタリーセクター(NPO・NGO)での活動: NHSによるサービスとは別に、多くのNPOや慈善団体が、ピアサポートグループやピアカウンセリングサービスを提供しています。これらの団体は、特定の精神疾患を持つ人々や、特定のコミュニティ(例えば、若者、LGBTQ+コミュニティ、特定の民族グループなど)に特化した支援を提供することが多く、より柔軟でアクセスしやすいサービスを提供しています。
  • オンライン・デジタルプラットフォーム: 近年では、オンラインのピアサポートグループやデジタルカウンセリングプラットフォームも普及しており、地理的な制約や**スティグマ(偏見)**への抵抗なく、ピアからのサポートを受けられる機会が増えています。

4. イギリスにおけるピアカウンセリングのメリットと課題

イギリスにおけるピアカウンセリングは、多くのメリットをもたらす一方で、いくつかの課題にも直面しています。

メリット:

  • 共感と信頼の深さ: 同じ経験を持つピアだからこそ提供できる深い共感は、利用者にとって大きな安心感と信頼感を生み出します。
  • 希望の共有: ピアの回復体験は、利用者に「自分も回復できる」という具体的な希望を与え、回復へのモチベーションを高めます。
  • スティグマの軽減: ピアサポートワーカーの存在は、精神疾患に対する社会的なスティグマを軽減し、よりオープンにメンタルヘルスについて語れる文化の醸成に貢献します。
  • リカバリーの促進: 当事者主体のアプローチは、利用者が自らの力を信じ、自己管理能力を高め、社会参加を促進するなど、リカバリーのプロセスを強力に後押しします。
  • 医療システムへの貢献: ピアサポートは、再入院率の低下やサービス利用者の満足度向上など、医療システム全体の効率性と質を高める効果も期待されています。

課題:

  • 役割の明確化と専門職との連携: ピアサポートワーカーと他の専門職(医師、看護師、心理士など)との役割分担や連携のあり方については、まだ明確なガイドラインが必要な場合があります。ピアサポートワーカーの業務範囲や責任を明確にし、専門職との間で適切なコミュニケーションと協力体制を築くことが重要です。
  • 質の確保とトレーニングの標準化: ピアサポートの質を均一に保ち、倫理的な問題を防ぐためには、質の高いトレーニングの提供と、全国的な標準化が求められます。
  • ピアサポートワーカー自身のウェルビーイング: ピアサポートワーカーは、自身の回復経験を活かす一方で、利用者の苦悩に寄り添う中で、自身のメンタルヘルスを維持するためのサポート(スーパービジョンなど)が不可欠です。
  • 資金と持続可能性: NHS内での雇用は進んでいるものの、ボランタリーセクターのピアサポート団体は、資金調達や活動の持続可能性という課題に常に直面しています。

まとめ:進化するイギリスのピアカウンセリング

イギリスにおけるピアカウンセリングは、精神疾患を持つ人々の声を尊重し、リカバリーを支援する強力なツールとして、NHSのシステムの中に深く統合されつつあります。当事者自身の経験が、専門的なケアの現場で活用されるという、革新的な動きは、精神保健ケアの未来を形作る上で重要な示唆を与えています。

もちろん、役割の明確化や質の確保といった課題は残るものの、イギリスのピアカウンセリングは、当事者のエンパワメントを核としながら、より包括的で人間中心のケアシステムを構築するための重要な推進力であり続けています。この取り組みが、今後さらに進化し、世界中の精神保健ケアに良い影響を与えることが期待されます。